都銀が叫んだ嘘の主張とは?

現在ではキャッシュカードと一体化になったクレジットカードは

珍しいものではありません。しかし当時は都市銀行が銀行本体で扱うことに

消極的だったのです。

 

大手銀行は昔からリテール業務に熱心ではありませんでしたが、 50年代から米国で

クレジットカードの発行が始まったことを受けて、 60年代に国内クレジットカードの

発行を開始するようになりました。

ただ当時は銀行が本体の業務としてクレジットカード業務を行う事は

禁じられていたので、関連子会社としてクレジットカード会社を設立したのです。

 

60年に「日本ダイナースクラブ」旧第一勧銀、富士銀行などの共同出資で設立

(現シティグループ保有)したのを皮切りに、61年には旧日本信販と旧三和銀行

共同出資で現在のJCBが旗揚げされたのです。

その後都銀単体または銀行複数行による共同設立や信販会社のクレジットカード会社設立が相次ぎ、クレジットカード第一黄金時代が到来するのです。

 

【地方バンクカードの登場】

82年に銀行法が改正され、クレジットカード業務は銀行法で「周辺業務」だったのが

「付随業務」として認められました。クレジットカード業務は銀行業務と昨日娘関連性があるとの判断から、本業務の付随業務の位置づけを得て、銀行本体で発行できる道が開かれました。

 

これにいち早く対応したのが地方銀行でした。83年に全国地方銀行協会

キャッシュカードとクレジットとカードが一体になった「地銀バンクカード」を発行し

地銀各行で取り扱いが始まりました。

 

都銀はこれに猛反発しましたが、都銀系のクレジットカードは他銀や信銀など

地方金融機関とのフランチャイジー(FC)でカード会員を増やしていたので

FC最も大きな勢力である地銀が銀行本体でクレジットカードを発行すれば

自社のカード業務はケータイすると危惧したからです。

 

都銀は60年代からすでに関連子会社に人、物、金を投資してブランド力を高めながら

クレジットカードシステムを運営していたので、今更本格業務に取り組む事は出来なかったのです。また、複数都銀で設立したクレジットカードですから、クレジットカードの引き落とし口座が必ずしも自行の口座とは限りません。

そうしたことが重なって、本格業務に取り組むことを諦めた経緯があります。

 

当時都銀業界は「クレジットカード業務は本格業務ではない」と主張していました。

しかし我が国の金融制度の下では、銀行法に基づいてクレジットカード業務を行うよりも、貸金業法に基づいて子会社としてクレジットカード会社を運営する方が、

比較的自由に業務が展開できます。したがって都銀が子会社でクレジットカードを

運営することは、長い目で見る場メリットがあると言えるのです。