装置産業の再編統合の鍵は「システム」

クレジットカード業務数百万もの会員に対して決済代行や貸付を行うもので

業務効率を上げるためのシステム構築が不可欠です。

金融業界で最も装置産業化した状態とも言えるでしょう。

 

クレジットカードは、利用されなければクレジットカード会社にもちろん

何の利益をもたらしません。年会費無料のカードが増えている現在では、

クレジットカードの稼働率向上はどの会社も最優先課題です。

 

近年ではITを活用して利用者の購買行動をデータベース化して、カードの利用率を

上げるためのシステム構築に力を注いでいます。

 

たとえば、パソコンをクレジットカードで購入すると、クレジットカード会社からパソコン雑誌やデジタルカメラの公認を勧めるダイレクトメールが届くことがあると思います。購入された商品に関連する別の商品を推奨することで、カードの利用を促進していこうという作戦です。

 

これは「クロスセル」と呼ばれる販売手法の1つですが、業務のIT化なしにはできない

販売セールス手法になります。

 

【将来はシステムの業界共同利用も】

クレジットカード業務は決済代行や貸付を主業務にしているので、会員一人当たりの

売り上げは低く、薄利多売の色彩が濃い業種です。

したがって規模のメリットを生かすなければ業績は上がることはありません。

いかに無駄を省いて効率よく修理役を上げるかが勝負になります。クレジットカード

業界のシステム化は年々進歩していますが、それでも0年に1回程度はシステムの

再構築が必要になります。

 

都銀の再編・統合によるメガバンクの誕生で、メガバンクは傘下に複数のクレジットカード会社を保有することになり、統合効果を得るためにシステムの資源の合理化

(共同利用可)を迫られました。メガバンクグループにはクレジットカード、

信販消費者金融の3つのノンバンクが共存するようになったため、会員および加盟店の管理や融資審査などを共通する業務があり、システムをここに所有することは非効率で二重の設備投資になります。

 

そこでメガバンクグループはシステム基盤を共有して用の効率を上げ、収益を向上させようと考えたのです。その象徴的な出来事がジェイシービー(JCB)による次世代基幹はシステムの開発です。

 

JCBは0 5年2月、日本信販UFJカード(元三菱UFJニコス)と基幹システムを共同利用していくことで合意しました。JCBは前年に次世代基幹システムの開発に着手すると発表しており、旧UFJホールディングス内の複数のノンバンク上でシステムの資源の共有化を付す進めていく戦略があったからです。

 

またJCBは同時に新システムの共同利用を業界に呼びかけています。

これはクレジットカードの業務処理を一手に引き受けることで、新たな収益の道を

切り開く狙いがあると言われているのです。

 

クレジットとカード業界の再編・統合は、システムの共有化にあるといっても過言ではありません。

 

 

メガバンク、商社、消費者金融とのタッグで多彩な現状

銀行系クレジットカードと大手信販は、長年支援を受けてきた関係から、

メガバンク・都銀の個人業務戦略に沿った生き残り策を模索せざるを得ない

状況になってきました。

 

メガバンクグループの中枢である都銀は、05年3月期決算で不良債権比率の

半減目標をほぼ達成し、グループとしての公的資金を06年10月までに完済しました。

ここ数年メガバンクグループは業績回復の経営戦略に基づいて検討してきました。

その結果グループ内のクレジットカードや信販を巻き込んで、個人(リテール)業務

に進出することを決めました。

 

しかしその方法はすべてのクレジットをカードや審判をグループに残すのではなく、
関係の深い企業に支援を扇いだり、合併や業績的な売却を実施したり、資本・業務提携

した大手消費者金融とコンビを組ませたりと、業務効率を上げる作戦をとりました。

「グループ内に複数の同業者はいらない」

ある都銀幹部は神本音を漏らしています。

 

メガバンクのリテール戦略に翻ろう】

0 5年に三菱UFJフィナンシャルグループ(MUFG)が発足したのを機にMUFG

ノンバンク整理が一気に加速しました。MUFGは0 5年1月にDCカードの株式20%を

アコムに売却して、同社はアコムの持ち分法適用会社になりました。

 

0 5年10月には日本信販UFJカードと合併して「UFJニコス)が誕生、0 7年4月に

DCカードを吸収して、「三菱UFJニコス」となりました。

同社は0 8年MUFGの子会社になり上場廃止の予定となりました。

 

みずほフィナンシャルグルー(FG)は、オリエントコーポレーションの支援を受け

伊藤忠商事に委ね、伊藤忠商事は700億円を織り込み投資して同社の筆頭株主

なりました。

またみずほFGないではクレディセゾンUCカードとの間で事業分割を行い、

UCカードはクレジットカードの業務処理会社として再スタートを切りました。

 

大手消費者金融との関係強化に熱心なのが三井住友フィナンシャルグループです。

0 4年6月2消費者金融第3位のプロミスの筆頭株主になって同社を傘下に収め、

消費者ローンビジネスを強化しています。

プロミスは0 5年1月旧さくら銀行消費者金融大手・三洋信販との合併で設立した

アットローン」を子会社化しました。

 

3大メガバンクグループとしてクレジットカードや信販はこれまで、本業では

手が出しにくい個人業務を代行する「別働隊」であり、確固とした関係を

築いてきました。

しかし不良債権の大口先でもあった大手信販会社に対しては距離を置き始め、

系列クレジットをカードに対し、自立を足しました。

 

メガバンクが今はパイプを太くしようと考えているのは、大手消費者金融会社です。

彼らが持つ与信能力は、都銀には無いものなのです。

都銀はクレジットカード業務を子会社にゆだねる必要がなくなったのです。

また審判グループに1社あれば良いと考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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都銀が叫んだ嘘の主張とは?

現在ではキャッシュカードと一体化になったクレジットカードは

珍しいものではありません。しかし当時は都市銀行が銀行本体で扱うことに

消極的だったのです。

 

大手銀行は昔からリテール業務に熱心ではありませんでしたが、 50年代から米国で

クレジットカードの発行が始まったことを受けて、 60年代に国内クレジットカードの

発行を開始するようになりました。

ただ当時は銀行が本体の業務としてクレジットカード業務を行う事は

禁じられていたので、関連子会社としてクレジットカード会社を設立したのです。

 

60年に「日本ダイナースクラブ」旧第一勧銀、富士銀行などの共同出資で設立

(現シティグループ保有)したのを皮切りに、61年には旧日本信販と旧三和銀行

共同出資で現在のJCBが旗揚げされたのです。

その後都銀単体または銀行複数行による共同設立や信販会社のクレジットカード会社設立が相次ぎ、クレジットカード第一黄金時代が到来するのです。

 

【地方バンクカードの登場】

82年に銀行法が改正され、クレジットカード業務は銀行法で「周辺業務」だったのが

「付随業務」として認められました。クレジットカード業務は銀行業務と昨日娘関連性があるとの判断から、本業務の付随業務の位置づけを得て、銀行本体で発行できる道が開かれました。

 

これにいち早く対応したのが地方銀行でした。83年に全国地方銀行協会

キャッシュカードとクレジットとカードが一体になった「地銀バンクカード」を発行し

地銀各行で取り扱いが始まりました。

 

都銀はこれに猛反発しましたが、都銀系のクレジットカードは他銀や信銀など

地方金融機関とのフランチャイジー(FC)でカード会員を増やしていたので

FC最も大きな勢力である地銀が銀行本体でクレジットカードを発行すれば

自社のカード業務はケータイすると危惧したからです。

 

都銀は60年代からすでに関連子会社に人、物、金を投資してブランド力を高めながら

クレジットカードシステムを運営していたので、今更本格業務に取り組む事は出来なかったのです。また、複数都銀で設立したクレジットカードですから、クレジットカードの引き落とし口座が必ずしも自行の口座とは限りません。

そうしたことが重なって、本格業務に取り組むことを諦めた経緯があります。

 

当時都銀業界は「クレジットカード業務は本格業務ではない」と主張していました。

しかし我が国の金融制度の下では、銀行法に基づいてクレジットカード業務を行うよりも、貸金業法に基づいて子会社としてクレジットカード会社を運営する方が、

比較的自由に業務が展開できます。したがって都銀が子会社でクレジットカードを

運営することは、長い目で見る場メリットがあると言えるのです。

 

 

 

 

 

 

最後に本格着手されたクレジット・信販会社の再編と統合

メインバンクである都市銀行が再編・統合したことから、

クレジットカード・信販などノンバンク各社の再編・統合も時間の問題と

言われていましたが、メガバンクグループは先送りしていたのです。

 

大手ノンバンクは、大手銀行からの長期借り入れで事業活動を展開してきました。

特に銀行系クレジットカードは親銀行から、信販は都銀や信託、長期信用銀行から

資金的支援を仰いでいたので、メインバンクが統合・合併といった再編に動き出すと、

その影響をもろに受けることになります。

 

メガバンクは当初、メインバンクとなっているノンバンクを

再編することには消極的でした。2000年に誕生したUFJホールディングス(元三菱UFJファイナンスグループ)は、銀行持ち株会社設立以前、支援先や購入先を含めて

グループ内に3つの大手信販、3つのクレジットがカード会社を持っていました。

 

しかし、信販会社はバブル時の不動産担保融資が不良債権化して多額の有利子負債を抱え、メインバンクの都銀に特別融資を受けていました。

つまり都銀が抱える不良債権の大口先がノンバンクだったので、系列ノンバンクの再編はまず不良債権処理という「後ろ向き」の課題を解決する事が先決だったのです。

 

不良債権処理を優先】

メガバンクグループにおけるクレジットカード・信販の再編が遅れた理由は

まだあります。

1つは都銀が多くクレジットカードを抱えていたからです。例えば、旧第一勧業銀行は

関連子会社の「第一勧銀カード」があり、他の銀行と共同出資してUCカード

日本ダイナースクラブを設立しました。他の銀行も事情は同じで、その後の社内整理などは面倒なものになったのです。

 

また都銀はここに来てキャッシュカードにクレジット機能を盛り込んだ

1枚かカードを次々に発表しはじめました。

そのクレジット機能は必ずしも子会社のクレジットカードとの一体化ではなく、

国際ブランドとの提携カードと言う色彩を持っているため、上記の友好関係を

維持してきたクレジットカード子会社との存在が宙に浮くケースも出てきて

しまいました。

 

信販会社の多くは「都銀の別働隊」として長年メインバンクのリーテル戦略の

肩代わりしてきただけに、不良債権処理にある程度の目処がつくと

再編が加速していきました。

しかしメガバンクとしてはグループ内にいくつもの信販会社があるのは

二重のシステム投資になるなど、今後の戦略上非効率です。そのため、他行に

実質的に売却したり、グループ内で合併させたりする働きが本格化していきました。

 

みずほFGではUCカードを業務処理専門会社に再構築し、会員獲得などの業務を

クレディセゾンが担うことになりました。その後三菱UFJニコスが誕生し、

クレジットカード・信販会社の再編は本格化していくことになりました。

 

 

都銀が本気でリーテルに取り組まなかった理由をご存知でしょうか?

都市銀行は1,000万単位の口座数を誇る巨大金融機関で、

個人口座数も膨大な数に上ります。

しかし、個人(リテール)業務に対しては、

これまでは積極的に取り組んできたとは言えませんでした。

 

都市銀行は、わが国の金融機関を常にリードする巨大金融機関です。

長引く不況で企業に対する融資が減少した現在では、ディーゼル業務に

軸足を置いた戦略を展開していますが、都銀はこれまで個人(リーテル)業務に

対して熱心に取り組んできませんでした。それはなぜなのでしょうか?

 

それは都銀の事業戦略が法人第一主義だったからです。

行員は誰しもが名だたる大企業の営業担当に憧れて入行してきます。都銀や

信託など大手銀行の本部組織には「営業第一部」といった、業種別の

営業セクションがあります。彼らはこうした営業部門を「ナンバー部」と呼んで、

銀行に最も高い収益をもたらす部署に配属されることを目指すのです。

 

「大企業の営業担当にならなければ、銀行に入った意味がない」

大手銀行の大企業優先意識は、行員の間に深く浸透していました。

 

【法人第一主義と収益効率】

都銀の事業戦略は大企業中心の法人第一主義であり、都市部を中心に

営業活動を展開しています。大企業は巨額の設備投資が必要なため、

銀行から多額の融資を受ける上に、売上高も高いので預金も巨額になります。

 

何万人という従業員お抱え、多くの関連会社や取引先企業が連なっています。

その収益効率は個人取引と比較にはなりません。

 

法人取引に比べて個人取引は、人海戦術に頼らざるを得ません。

それに膨大な口座数ですから、個人取引はどうしても効率の悪い仕事なのです。

都銀はシステム化によって個人取引に対応しました。例えばATMを増設して

大量の個人取引を処理し、なるべく人件費をかけないで利用者を引き止めるよう

にしました。

 

その代表例が住宅ローンなのです。住宅ローンは国の政策として、

持ち家促進のために登場した金融商品なのです。しかし都銀は非効率で利益が

期待できない、しかもリスクの高い長期個人融資の取り扱いに消極的でした。

そのため、国は大手銀行に出資をさせて住宅金融専門会社住専)を設立させて

対応をしました。

 

ところが、予想外に住宅ローンが急成長したのを見て、今度は積極的に販売を

し始めたのです。今では消費者金融と手を組むようになった消費者ローンも、

都銀は1時販売したのですが、やはり尻つぼみになり終わりました。

これはいずれも80年代前半なことになります。

 

都銀各行は、関連子会社としてクレジットカード会社を設立しました。

しかも、他の都銀と共同で出資したカード会社も設立すると言う、ややこしい構図

お創りあげたのです。クレジットカード業務に対する取り組みの迷いが現れています。

 

 

 

 

個人消費集団の4分の1を引き占めるクレジット!

クレジットカードは代金後払いの性格から、元来不況に強い業種といえます。

この10年間、国民消費支出の4分の1を占めています。今後も個人消費の大きな

担い手として活躍していくことでしょう。

 

クレジットカードは、商品やお金を先に購入して後で返済するのが

基本の機能になります。返済方法も小口の分割返済があるので、

長期不況のために賃金の抑制が続いたこの 10年間においても、その利用率は

変わることもなく推移してきています。

 

日本クレジット産業協会の統計によると、新規信用供与額は国内総生産にしめる

民間最終消費支出287兆円の約4分の一に相当する776兆にのぼりクレジット

産業が国民生活の中かで重要な消費手段として広く支持されているが解ります。

 

クレジットカード発行枚数は06年度末で2億9,000万枚。成人一人当たり3枚近くを

所有している計算になります。金融庁に業務報告書を提出している貸金業者数として

見ると、クレジットカード会社は最大で6500社(06年)近くにのぼると思われて

います。

 

【信頼と利便性で成長してきた】

クレジットカードがここまで成長したのは、発行元が銀行や大手流通系企業、

あるいわ上場企業にまで業績が拡大している会社であると言う信頼感と、

少額返済による代金後払いの特性、利用できる多数の加盟店の影響が背景に

有ります。

 

元来借金を憎み嫌っていた感のある国民性も、住宅ローンが本格的に普及した

70年代後半から、こうした考え方は陰をひそめてきました。

また近年では、ある程度年収を得ている利用者でも、ショッピングやキャッシングの

ためのカード利用が増えてきました。

 

これは翌月一括返済なら金利や手数料がかからない事や、カード示すだけで

その場での支払いが済む利便性が受け入れられたからだと言えるでしょう。

 

しかし、簡単にショッピングやキャッシングができる様になったため、一部の利用者

の間では返済が困難になってしまう事があるようです。

その原因は、ここ数年普及してきているリボルビング払にあるようです。

 

たとえば、毎月5000円を返済し続ければ限度額内で何回もカードが利用できる

ため、返済総額を把握できなくなるからです。

あまりにも気軽に、ショッピングやキャッシングができる事が、計画的に返済して

良く事を忘れてしまうからなのです。

 

これが、多重債務、さらには自己破産という最悪の事態に陥る原因になってしまう

要因を作ります。クレジットカードは国民消費の四分の一を占める重要な返済の

担い手です。今後さらにネット環境などがすすむにつれ、さらに利用者の拡大に

繫がります。

 

今後利用者本人の責任において適切に使われていかなければ、利用リスクは高く

ひいては、金融業界の発展の阻害要因になりかねません。

 

 

 

 

 

 

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都市銀行と消費者金融が力を合わせる時代になりました

その象徴的なニュースが1990年に明らかにされた都市銀行消費者金融

合弁会社の設立が挙げられます。

 

それは三洋信販と旧さくら銀行(現三井住友銀行)、プロミスと旧三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)という都市銀行消費者金融の大手同士が出資して

消費者ローン会社を作り、2000年から営業始めました。

 

消費者金融大手各社は、このころ空前の利益を上げ毎年過去最高利益を

更新していました。しかし大手都市銀行は巨額の不良債権処理に苦しみ

収益の源泉をどこに求めていいのか迷走をしていました。

 

消費者金融は当時、株式上場を果たすなど徐々にイメージが向上して来ていたので、

都銀としては業務提携を結ぶ機会と判断して、それらの収益向上の秘訣を

学ぼうと考えていたのです。

 

こうした動きを境にして、大手銀行は法人から個人へ収益向上のための

かじを大きく切りました。融資と決済代行が業務の中心である

クレジットカード業務は、大手都銀の戦略転換によって

大きく変貌をとげることになりました。